近況にも書いた通り、全日本マスターに出場してきました。黒帯として初めての試合でしたが、階級別・無差別ともに一本負け。しっかりやられました。
一方で、大会進行をぼんやり眺めていて思ったのは、改めてブラジリアン柔術のシステムは本当によくできているなと。年齢や階級、帯によって細かくカテゴリーが分かれているため、基本的には自分と同じくらいのレベルの相手と戦うことになります。その過程はまるでRPGのよう。
例えばドラクエだと、最初の村を出たばかりの頃はスライムやドラキーと戦うわけです。一方ゲームが進むにつれてプレイヤーが強くなれば、より手強い敵が現れる。柔術も同じで、初心者でもあろうと熟練者であろうと戦いが楽になることはない。実力がつけばつくほど、それに見合った強敵と戦うことになる。この仕組みが絶妙にできているなと。
これは柔術やゲームに限らず、人生全般にも言えることかも。20代なら20代なりの、30代なりの、40代なりの困難がある。どれだけ経験を積んでも、その時々に応じた新たな課題が現れる。いやむしろ、そういう現実をゲーム化したのか。
「働くと遊ぶの境界線」
ちなみにゲームと言えば全く話は変わりますが、最近うちの家族がスーパーマーケット経営のソフトを買ったみたいです。がらんどうの店舗に商品を仕入れ、棚に並べ、売上を伸ばしていくというもの。
人間とは不思議なもので。現実の世界では、「仕事が面倒」「宿題が嫌だ」と感じるはずが、休みの日に、わざわざゲーム内でトラックから荷降ろししたり、品出ししたり、空になった段ボールを捨てに行ったりしてるんですよ。笑
何やってんだろうか1円の特にもならないのに、と僕は思うわけですが、(なんならお金払った上で休みの日まで使っている)
逆にふと考えてみる。もしこのゲームが「朝9時から夕方5時までプレイしたらお金がもらえる」仕組みになったらどうだろうか。急に頭が働いて1時間いくら、と計算するでしょう。労力に合わないなあ、とか考え出すかもしれない。その上「この日とこの日は必ずプレイしてね」なんて言われようものなら、突如として義務感が形となって迫ってくる感じ。やってることは変わらないのにね。
「自分で決める」
楽しめるかどうかはこれが一番大切。自分で選んで遊んでいるうちは、報酬がなくても構わない。楽しめてるから。
柔術の試合も同じです。僕たちは新幹線に乗り、ホテルに宿泊し、会場に集まり、参加費を払ってまで対戦相手を探して戦うわけ。家族から見ると、俺の方も十分おかしいのかな。笑
自分で決めて、自分からやること。誰かに「やれ」と言われてやっているわけではないからね。誰のせいにも出来ない、したくない。だからこそ真剣に取り組むし、楽しめるのかもしれない。
やるべきだからと追われるよりも、やれる限り追うのです。
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